未分類

マリエは島田紳助のせいで芸能界から消えた?本人が語った消えた理由!

マリエ島田紳助に「枕営業」を誘われたとインスタライブで告白しましたね。
マリエが告白した内容としては、「島田紳助に枕営業に誘われ、拒否したが周囲にいた出川哲朗やお笑いコンビのやるせなす、山本梓などから「やりなよ」と勧められた。」というものです。
また2011年東日本大震災の時にはtwitterで大炎上したこともあるマリエさん。
マリエさんは2011年の途中からメディア露出が無くなり、芸能界から消えたと言われてきました。

これまでマリエさんが芸能界から消えた理由ははっきりしませんでした。
ですが、今回の枕営業炎上で「島田紳助からの枕営業を断ったから芸能界から消えた」という説が浮上。

マリエが芸能界から消えた理由は他にも噂がありますが、真実は如何に?!
この記事では、「マリエが芸能界から消えたのは島田紳助のせいなのか?」について調べました。

 


マリエが芸能界から消えた理由は「島田紳助」?

マリエが島田紳助の枕営業の誘いを断ったところ、その後島田紳助から共演NGとされてしまったとのこと。
当時島田紳助は、大人気の番組で司会を勤めていました。
マリエが島田紳助から共演NGにされていたとしたら、この枕営業騒動がきっかけで出演番組が減ったことは事実だと思われます。
しかしマリエは、島田紳助が出演しないメディアには変わらず出演していたようです。
そのため、「島田紳助からの枕営業の誘い」を断ったことが芸能界から消えた直接的な原因ではないと推測できます。

 


マリエが芸能界から消えた理由は「twitter大炎上」?

2011年3月の東日本大震災後、23才だったマリエはtwitterでつぶやき大炎上しました。
↓↓↓

「くだらね。世の中チャリティー産業かよ」
「いろんなところから募金です、金くださいって連絡が絶えなくて困ってんだよ」

このマリエのつぶやきが震災支援への暴言だと取り沙汰され、バッシングが絶えなくなりました。
そして、この2011年3月を境にマリエのテレビ出演はパタッと無くなってしまったのです。
その後、マリエは東日本大震災から半年後の2011年9月に海外留学へと旅立ちました。

マリエのテレビ出演がなくなるタイミングがtwitterの大炎上とほぼ同時期であるため「twitterが大炎上したため海外へ逃げた」という流れであった可能性は現時点で否定できませんね。

 


マリエが語った「マリエが芸能界から消えた本当の理由」

マリエが芸能界から消えた理由は一体何だったのでしょうか。
実はマリエ、自分の口でその理由を語っていました!
その理由を理解するには、マリエの芸能活動にかける想いを知る必要があります。
ご紹介していきます。

マリエの芸能活動のはじまり

チャンスがあってモデル事務所に所属したのは11歳のとき。キッズモデルとして仕事を始めて1年が経ったころ、私の活動が学校の目に止まるようになり、周りがざわつき始めた。

小学校は大学までエスカレーター式に進学できる私立の女子校で、厳格な校風だった。昨日観たテレビ番組ですら、校内で大声で話をすればすこぶる怒られるほどだった。在校生の芸能界入りがバレれば、きっと退学だったと思う。

(引用:WWD マリエが本音で語る「私の33年目のサステナブル」

マリエはキッズモデルとして芸能活動を開始。
一方で芸能活動ご法度の厳しい学校に通っていたんですね。

マリエはモデルになることを決心

芸能活動ご法度の学校に通っていましたが、モデルを続けていくことをマリエは決心。
転校したい旨を両親に打ち明けます。
両親はもちろん反対。
そこでマリエは考えました。

そんな状況でただ「モデルになりたい」と言うだけでは、両親は絶対に納得しない。そこで、自由を手にするためについた嘘が「私は、デザイナーになりたい」だった。
「洋服が好きだから、高校を卒業するまでにお金を貯めて、ニューヨークのパーソンズに行ってデザイナーになる。今の学校じゃファッションを学べない」と。すると父は一言「頑張れ」と言ってくれた。

(引用:WWD マリエが本音で語る「私の33年目のサステナブル」

嘘をつくことでご両親の説得に成功したマリエさんでしたが…

モデルを続けるためにとっさについた嘘が、いつしか本当の夢になっていった。

(引用:WWD マリエが本音で語る「私の33年目のサステナブル」

なんと、
 ★私はデザイナーになりたい」
 ★ニューヨークのパーソンズに行ってデザイナーになる
この2つの嘘がマリエの本当に夢になっていったというから言葉の力はすごいです。

芸能活動へ本腰を入れたマリエ

マリエは14才のときに初めて留学。
オーストラリアのメルボルンに3ヶ月滞在しました。

そして15才でアメリカのウィスコンシン州に留学。
17才で日本に帰国します。

そこでマリエは進路に悩みます。

17歳でアメリカ・ウィスコンシン州での留学から帰国。
卒業後の進路を悩んでいたとき、「本腰を入れて芸能界でチャレンジをしてみないか?」と、現在の事務所に声をかけてもらい、5年間の契約を結んだ。
ニューヨークのパーソンズ美術大学への進学と悩んだが、「うまくいってもいかなくても、5年後はまだ23歳。それからでも遅くない。
今しかできないことに集中しよう」と決心した。

(引用:WWD マリエが本音で語る「私の33年目のサステナブル」

芸能活動をするかデザイナーになる道を進むか悩み、5年間の芸能活動にチャレンジすることを選んだマリエ
「5年後はまだ23歳。」とあるので、5年間の契約を結んだ当時は18歳だったと思われます。
冒頭にも買いた島田紳助から枕営業の誘いを受けたとされるのは18歳の時でしたから、芸能活動に本腰を入れてすぐの出来事だったことが伺えますね。

マリエに生まれた悩みと進路

マリエはテレビでも雑誌でも引っ張りだことなり、様々な仕事を経験。
その中で1つの悩みが生まれます。

例えば、「チェック柄のシャツが欲しい」という要望をコラボ企業に伝えると、チェック柄の生地見本が3種類ほど用意され、私はその中からしか選べない。
それが、“〇〇さんデザイン”として世間に発表されるのだ。
「世界中には無数のチェック柄があるはずなのに、どうしてこの3つからしか選べないの?」「私がデザインしたと信じて購入してくれるみんなにどんな顔をすればいいの?」と、本気で悩んだ。

私はそのやり方に限界を感じ、持続可能な消費者との関係性ではないと考えた。
売り上げだけを狙ったビジネスは私には向かないのではと疑問が生じ、ファンとの関係性を考えると心苦しくなった。

(引用:WWD マリエが本音で語る「私の33年目のサステナブル」

マリエは、与えられた材料のみで自分の思い描くファッションを表現することが難しいと考えたんですね。

その時、「ファッションをもっと勉強したい」という思いが心に強く芽生えた。
「勉強して、可能な限りの知識を学び、自分が思う・表現できるベストをファンに届けたい。そうすれば『買ってくれてありがとう』と、気持ちよく伝えられる」

そして23歳の時、パーソンズに留学した。

(引用:WWD マリエが本音で語る「私の33年目のサステナブル」

18歳のときに芸能事務所と5年間の契約を結んでいたマリエ。
この5年契約が切れた23歳で夢見ていたパーソンズ大学へ進学したと考えるとしっくりきます。

マリエが芸能界から消えた理由

マリエが2011年に突然芸能界から消えた理由。
それは、

芸能事務所との契約が切れたタイミングで、夢を追うために憧れていた大学へ進学したから

であったことがわかりました!

マリエが芸能界から消えたのは島田紳助のせいではなかった!

マリエと島田紳助のことが騒がれていますが、「マリエが芸能界から消えた理由と島田紳助は関係がない」ということがわかりました。
本人の口から語られているため、間違いないでしょう。

今後も騒動の行方、マリエの仕事の行方に注目です。
最後までお読みいただきありがとうございました。

 


スポンサーリンク